らーめん屋になる前は サラリーマンを16年間 営業マンとして勤めていました。
順風満帆の日々。
それでも 自分の中で「何か自分でやりたい」と常に考えておりました。
でも、その何かが見つからない。
今の営業職の仕事で独立しても会社のネームバリューがあるから売り上げがある訳で 僕個人が会社を設立しても たかが知れてる。
16年間も勤めているので社内では課長だった。売り上げも誰にも負けなかった。
だからこそ 人生一度きり。何かがやりたい。が 見つからない。そんな感じの日々が続いていた ある日 あの店と出会う。
友人に「美味いらーめん屋があるので行きましょう」と連れて行かれたのが「津田沼 必勝軒」でした。
らーめんは昔から好きで出張先や営業先では常にらーめん屋を探しては食べ歩いていた。
が 津田沼必勝軒は 全く別次元だった。
独特の空間。絶えず満席の店内。店の外には行列。忙しそうな厨房。そして あのマスター笑。
そこで あのつけ麺と出会う。
食べたことのない麺。
食べたことのないスープ。
自分の中で 今まで食べてきたのは 何だったのか?と思わせる位。
ふと 店外 貼り紙を見ると「正社員募集」と書いてある。
給料17万円。
ありえないな。と思いながら店を出た。
今の生活は贅沢すぎるほど 会社からは 給料をいただいている。
家族も子供もいる。
俺の年齢は当時36歳。
スルーした。
それから必勝軒には月1位のペースで食べに行った。わざわざ津田沼方面に仕事を作ったりして。
やはり 引っかかっていた。
あの店のようになりたい。
次第に その思いは強くなっていた。
家族は最初は大反対だった。
「はぁ?何で らーめん屋なの?」
そりゃ、そうだ。
「とにかく 3年間 我慢してくれ。俺は必ず成功するから」
なんの根拠もない 俺の説得にカミさんは渋々 首を縦に振ってくれた。
勤めていた会社の社長も僕の夢を理解してくれた。
さぁ、やるしかない。
戻る場所なんてない。
修行の3年なんて あっという間だろ。
今 考えれば 舐めすぎだった。
必勝軒に入って 2日目で辞めたくなる。
まだ なんもしてないのに。
ヘトヘトになって夜 遅く修行から帰るとカミさんは「お疲れ様」と言ってくれた。が、今日は営業時間中ずっと換気扇のスイッチの入切しかさせてもらえてなかったことを言えなかった。
もどかしかった。
包丁も満足に握ったことなく料理経験ゼロの俺。ナルトもうまく ナナメに切れない。家にある キュウリでカミさんに教えてもらった。
そのくらい 何も出来ない。ダメな修行生だった。
そのくせ 変なプライドがあり いつも師匠には注意された。
京成津田沼液から必勝軒に向かう道。
朝 あんなにダラダラとゆっくり歩く人いないんじゃないかと思うくらい 重い足取り。そのくせ 帰りは競歩選手ばりのスピード笑
メンタルを維持するのが やっとだった。
救いは日曜日が休みだったこと。
社会人サッカーをしていたので けっこう発散できた。
初めは修行期間を指折り数えていた。
あと1005日とか笑
必勝軒には 毎回 夢を持って(独立したい)修行したいと強い意気込みで入ってくる人が多い。当たり前だが。
が、皆 1週間、いや3日もたない。
修行ってそんなものだと思う。
師匠は それを何百人も見てきている。
実際 自分も2日目で辞めたくなった1人だから。
通勤途中に たくさんの らーめん屋の前を通る。窓に貼ってある 高待遇な社員募集内容。正直 こっちのほうが楽じゃね?って思う自分を押し殺し 必勝軒に向かう。
ゆずの「栄光の架け橋」聴きながら。
この曲に けっこう助けられた。
そして3年の月日が流れた。
俺「師匠、今まで有難うございました」

師匠「俺はシマダ君を認めない、お前は まだまだだ。」

俺「いや、最初に3年だって言ったじゃないですか、実際 店も決まってます」

師匠「お前は公認店ではない」

そんな やりとりを最後に 僕は「麺屋 侍」をオープンすることになる。